スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

書評☆ 「オリガ・モリゾヴナの反語法」(米原真理)

なんという肉厚な、そして読んでいてぐんぐん引き込まれた小説だろうか。
不思議なタイトルにひかれて本を手に取り、冒頭のオリガ モリゾヴナの台詞を読んだ時から、物語の舞台である1961年のプラハ・ソビエト学校の講堂に心が飛んでいた。
「ああ神様!これぞ神様が与えて下さった天分でなくてなんだろう。長生きはしてみるもんだね。こんな才能、初めてお目にかかるよ!あたしゃ嬉しくて嬉しくて嬉しくて狂い死にしそうだね!」

タイトルになっているオリガ モリゾヴナは、毒舌で辛辣な舞踏教師だ。猛々しい原色のオールドファッションに身を包み、爪の先には真っ赤なマニキュア、年齢不詳。生徒をけなすのにほめながらけなすという高等テクニックを用いる。(その罵詈雑言の豊かで面白いこと)
主人公は、著者を彷彿させる日本人女性志摩(しま)。少女時代に4年間、プラハのソビエト学校で学び、ダンサーを目指したが挫折し、現在は40代で日本でロシア語の同時通訳をしている。離婚歴があり、成人した子供が一人いる。
彼女が過去を懐かしみ、旧友や大好きだったこのダンス教師の消息をたずねるためにモスクワにやってくる。そこで、昔は幼すぎて分からなかった事柄が、少しずつ露わになってくる。そのドキドキする謎解きの中で、主人公は幸運にも親友に再会し、昔は理解できなかった先生方の過去の謎や、ロシアの暗い歴史に翻弄された人々の来し方を知る…というもの。

こう書くとその物語の重みが分からないが、私が一番感動したのは、ロシアのラーゲリ(強制収容所)の生活のくだりだ。ラーゲリでの生活をある老女が語るのだが、一番辛かったのは、恐ろしい寒さでも飢えでも過酷な労働でもなくラジオ、新聞はおろか、肉親との文通も禁じられていたという、外部からの情報の遮断であったという。
しかし、そんな生活の中で、ある日、ひとりの女がアルトの声で歌い始めた。それから自分の知っている物語を語り始めた。それを毎晩、同じ部屋の女囚たちが聞きほれるようになり、次々に皆が自分の記憶の中の物語を語ったり、歌ったり踊ったり、学芸会のように楽しむようになった…。この部分は涙なしには読めない。
しかし、どんなに過酷なことが書かれてあろうとも、小説全体のトーンは明るいユーモアに満ちている。志摩の明るさは、そのまま米原さんのキャラクターだろう。たくましく、賢く、優しい。そして登場人物もみないじらしく、哀しいほどに優しい。罪深き、弱い人間に対する目線にも慈愛を感じる。だから厳しい現実を突きつけられても読後感が仄かにあたたかい。

驚くべきことに、米原さんはこの小説を仕上げるために、ほぼ100冊の本(日本語、ロシア語)を読んでいる。だからなのか、この本には、細かい部分にまでリアリティーがあり、臨場感にあふれている。もちろん、彼女自身が少女時代に体験したことも大きいだろうし、どこの部分がフィクションなのかは分からないが。
多分、このような小説を書ける日本人作家は数少ないだろう。文章の端々に日本人の芸術観、教育への鋭い批判も感じられる。圧倒的なスケールの大きさは、やはり大陸で暮した生活の影響かもしれない、なんて思った。



ランキング

よろしかったら一押しを!
にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へ


プラハの春             (春江一也:集英社文庫)

心に残る小説を読むと、その後何日かはずっとその世界に没入してしまう。いつまでも余韻をかみしめ、想像の中で遊ぶことさえできる。私にとって良書というのは、読んだ後で頭の中に残るか、残らないか、なのだ。
しかし先日、20年も前に読んだ小説のストーリーが全く思い出せなかった。普通の本なら当たり前だけど、私にとってはその女流作家のナンバーワンの傑作だと思っていただけに自分で信じられなかった。「面白かった!」という感想のみが頭に残っていたのだろう。しかも再読してみたら、これがびっくりするほどくどさとアラが目立ち、ひどくがっかりさせられた。(自分の記憶のあいまいさを知った瞬間☆)

前置きが長くなったが、本書は間違いなく、頭の中にいつまでも残り続ける本になるだろう。
「プラハの春」とは、チェコスロバキア(当時)で起こった自らの共産体制の変革の動きのことで、それが社会主義大国ロシアにとっては脅威だったために徹底的に弾圧されるのである。1968年にはロシアは圧倒的な軍事力によって、その活動を押しとどめようとした。それがチェコ事件である。
この小説は、その激動のチェコの情勢を日本人外交官の目を通して描かれたフィクションだが、歴史上の人物は実名で出てくるし、起こった事件や公式文書も正確に記されている。民族独立運動の記録でもあり、同時に日本人と東ドイツの反体制活動家のラブストーリーという禁断のロマンスでもある。しかも貴重なことに、著者は実際に当時チェコの大使館に駐在していた外交官で、「プラハの春」をその目で見て来た人だという。まさに生き証人によるルポルタージュとして読めば二重に価値がある。
チェコの人々が勇敢に、誇り高く祖国愛で持って独立を勝ち取っていったのは歴史上の事実だ。しかし、その渦中において、市井の人々がどのような喜びや苦悩を持っていたのか、どのようにして民族運動の士気を高めていったのか、またロシア人がした数々の暴挙など、私には知らないことが沢山あった。そして読み進めていくうちに、いつしかチェコの人々とともに革命時代を生きているような、一体化した気持ちにさえなった。

実は私は、壊れたベルリンの壁が見たくて、89年にドイツに行き、その後チェコスロバキアも単身訪れたことがある。カレル橋もプラハ城も旧市街広場も、小説に出てくる地名の場所は実際に歩いたし見ている。「プラハの春」という運動についても、知識としては知っていた。でも、この本に書かれているような身近な出来事として考えたことは一度もなかった。ベルリンの壁にしても、本当のところはその意味さえ分かっていなかった。せっかく現地に行ったというのに、なんて私はバカだったんだろうと思った。旅の予備知識以前の問題だ。その国のことを何にも知らないで、そこに行こうとするなんて!

それともう一つ、「国」という概念について。日本は敗戦国にもかかわらず、一部沖縄などを除き、本土を占領されたことがない。そのせいか、あまり人々は国について真剣に考えたことがないのではないか。それは逆に幸せなことなんだろう。
例えば、ある大国がいきなりドカドカと国境を越えて大軍で侵入し、国境を封鎖し、空港を閉鎖し、通信網を断ち切り、「お前たちは今から俺たちの言いなりになれ。俺たちは迷えるお前たちを助けに来た救世軍なのだから」と言って、国の要人を監禁して脅迫するというような暴挙が実際に起こる国において、初めて人々は祖国を守ろうという真摯な愛国心に気付くのではないだろうか。「言論の自由」についてもそうだ。国家の体制について非難どころか意見を述べることさえ許されない国に比べたら、日本はなんと自由に充ち溢れていることか。必死でもぎ取る必要などないくらい、「自由」だ。(いくつかの放送禁止ワードなどはこれにあらず)
日本は、国がなくなるかもしれないという危機に陥ったことがない。そういう苦難を知らずに、学生運動だなんだと上っ面だけ共産主義の真似ごとをしていたのではないか、という気がしてしまう。私は学生運動の時代を知らないので想像をするしかないが。若者はただ、みんなで群れ、自分たちの姿に酔い、難解な言葉を駆使して悦にいっていただけではないのか。
ましてや今の若者に至っては、生まれた時から「欲しい物はすべてあった」に違いない。国を想う気持ちが育つわけなどない。

私はこの本を読んで、またどうしてもプラハに行きたくなってきた。今度行く時は、祖国のために焼身自殺したヤン・パラフや果敢なるチェコの人たちに花を贈りに行きたいと思う。


ランキング

よろしかったら一押しを!
にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へ


シンプルだけど難しい?「子供をふつうに育てたい」

題名にひかれて「子供をふつうに育てたい」(長山靖生著:ちくま新書)を読んだ。少子高齢化が進行する一方、老後や子供の将来に対して不安を抱えたこの国で子供を「ふつう」に育てるというのはどんなことか…そんな疑問に答えてくれるのかと思いきや、この本は現状を書き連ねたところで終っている、それがまず残念だった。
とはいえ、現状だけでもこうして列挙されてみるとかなりハードだ。
1)若年層の親による虐待、ネグレクト
2)(高学歴の親による)子供への過度の期待とその反動としての家庭内暴力ないしは殺傷事件
3)いじめ問題
4)社会的階層格差とその投影としての学歴格差
5)子離れできない親と親離れできない子供(ひきこもり、ニートの問題)

ところで、親が子供を憎み、殺してしまうようなニュースが毎日テレビをにぎわし、それが日常化して誰もが驚かなくなっているというのは、一体何なんだ。親になるには未熟すぎ、知恵もなく、彼らを支える愛情にも恵まれていないという人たちはむしろ、子供を持たない選択をした方がいいのではないか。少子化社会はお国の発展のためには嘆かわしいかもしれないが、親に虐待された子供たちが形成する国というのももっと恐ろしい気がする。(彼らに罪はないが)
また逆に、自分の子供には自分以上の学歴を持ち、いわゆる「いい暮らし」をしてほしいという望みから過度の期待をかけ、結局は子供を潰してしまう親たち。この人たちは目に見えた虐待はしていないが、子供を精神的に追い詰めているという点で虐待以上にきついと思う。子供の将来の道も親の思い通りにするというのなら、それは親のモルモットではないのか。干渉も放任も過度になるとどちらも虐待になってしまう。ほんっと子育てって難しい!
そして「いじめ」だけれど、私は個人的に携帯電話を子供たちが持つようになったことで余計な問題が増えたのではないか、と見ている。食事の時も寝る時も片時も電話を手放さないような子供たちは、やっぱりおかしい。(ちなみにフランスでは携帯電話は日本のように子供が持っておらず、なんかもっとのんびりしているように見受けられる。またいじめもないし←まあ、これは人種の混ざった国なので、何事かあった時には「いじめ」じゃなくて「犯罪」になっちゃうというのもあるけど)
また、社会的格差と学歴格差だけれど、この社会的格差っていうのがどうしても親の所得格差になってしまうのがカナシイ。学歴というのが日本の場合、イコール大学名というのも貧弱だけれど…。日本の大学入学の仕組み自体を変えないと、本当に知恵のある賢い人材は育たないような気がする。それはともかく、自分のことは棚にあげ、いい名前の大学に子供を入れたらもう教育はおしまい、そんな考え方になっているのが日本の現状だと思う。本当は大学で何を学んでいくのか、何の資格を取るのか、自分の学問をどう極めていくのか…という方が何倍も大切なのに。
(だから、別に勉強が好きでもないような人までが大学に行く必要などまったくないんだけど、日本では学歴=大学名なので、いい会社に入るためにはいい学校に行かざるを得ないというのが一般的だから)
そして日本の大問題は、学費がべらぼうだということ。親がお金がなくて、優秀な子どもが進学できないとか、それを国家の問題にしないのがおかしい。教育に対して、学費を個人負担にするから格差が広がっていく一方なのだ。(私立大学が多いというのもその原因か)
最後に、子離れ出来ない親、親離れ出来ない子については、何がいけないのか分かんないなー。これは各人の問題だろうな~という気がする。でもこれは結構よその国にもあるんじゃないかな。

各項目について、思いつくままに書いていったが、問題はかなり深そう。それに他の問題とも絡み合っている。
ところで全然関係ないかもしれないけど、日本の便利さ、物の多さ、不必要なまでの親切さ、ごちゃごちゃうるさい街並み、そういった環境のすべてが人に与える影響というのも大いにあるのではないだろうか?
どうしてかというと、フランスでは全くモノを欲しがらない我が子たちが、日本では毎日のように物をねだり、ゲームセンターで遊びたがり、「お金くれー」と騒ぐからだ。
都会に行けば、物一つ買うのにも決められないほどの商品が並び、デパ地下などを歩いても、よくこれだけの食べ物を人々が消費して、これだけ多くの店の経営が成り立っているものだ!と感嘆せずにはいられないもの。
話がズレてしまったが、日本の繊細さ、便利さ、人々の発明や知恵を感心すると同時に、もっとガツガツしないでシンプルに生きましょーよ!とも思ってしまう。

たぶん、「子供をふつうに育てるのはどうしたらいいか」なんて、考えなくてもいい社会というのが、私たちの目指している先なのかもしれないな。



ランキング

よろしかったら一押しを!
にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へ


2010年3月25日(木) ワーキングプア

「ワーキングプア 日本を蝕む病」「ワーキングプア 解決への道」(NHKスペシャル「ワーキングプア」取材班 編:ポプラ文庫)を読んだ。

「NHKスペシャル」で取り上げたルポルタージュの文庫化ということで、たまたま放送を観ていた私には内容は既知のものだったが、改めて文字で読むと、また映像の記憶が鮮明に蘇ってきた。この3回にわたった放映はよく出来ていてすごいインパクトがあったのだ。
ただ、問題提起はしたものの、その後何年か過ぎた今、現状はどのように変化しているのだろうか。何か変革はあったのか?気になるのはむしろそちらの方だが、ともかくこのルポルタージュの果たした役割は大きいと思う。

1冊目「日本を蝕む病」では、様々なシチュエーションの「ワーキングプア」層の人々をレポートしているのだが、その淡々と事実だけ綴られているレポートの行間には、救いようのない人々の絶望と苦しみがにじんでいる。
それは、父親の借金がもとで家庭が崩壊し、ホームレスをして何年も路上で生きている若者や、離婚後に女手一つで睡眠時間4時間で仕事をかけもちしながら子供を育てている女性、会社が倒産した後、3つのバイトをしながら2人の子供を育てている男性、グローバル化する経済のひずみをもろに受け、まっとうに仕事をしながらどんどん収入だけが減っていった地方の自営業の人たち、年金だけでは食べていけなくて空き缶を拾ってわずかな糧を得ようとする夫婦―などであり、それぞれの「ワーキングプア」にはそれぞれのストーリーがある。
ただ、共通するのは、どの人も何も悪いことなどしていないし、なまけ者でもない。むしろ誰にも頼ろうとせず、健気に毎日一生懸命に働いているということだ。
上記以外にも、学校を卒業しても仕事がない、正社員になれない若者たちや、経済的な理由で親に捨てられてしまった子どもたちにも目を向けている。
負のスパイラルとでもいうのか、貧困は遺伝してしまうことが多い。そして一度「ワーキングプア」の地位に陥ると、そこから脱出することは非常に難しい。

しかし一般には「ワーキングプア」の実態は見えにくい。誰しも自分の隣人が毎日仕事に出かけていくのを見れば、それはフツウのことで、その仕事の中身や家庭の経済状態までは斟酌しないからだ。それに大抵の人は暮らしがどんなに困窮していても、そのことを誰かに訴えようとはしないという日本人の「恥の精神」(もしくは美徳とでもいおうか)がある。また、生活保護をもらう条件というのもややこしいし、わざわざ自分でそこまで調べて申請をするというのも難儀だし敷居が高いという問題もありそうだ。
「働かざる者食うべからず」という格言(?)のある国では、一般的に弱者に対しての目線は厳しいように思われる。
なので人々は「何でもいいから怠けずに仕事しろ!っていっても仕事がないんだ!」「正社員と非正社員の格差をなくせ!」「もっと保障を!」なんて叫んで団結してデモを起こしたり…とかもせず、働いても働いても一向に生活の向上が見込めない八方ふさがりの状態でも、ただ黙々と日々を過ごすしかない。そんな印象を受ける。

ところでくどいようだが、「ワーキングプア」の人たちは、決して特別な存在ではない。
「他人に迷惑をかけない」「働くことは生きがい」「頑張れば報われる」そんな生活信条を持って真面目にまっとうに生きようとしてきた人たちなのだ。そのことを忘れてはいけないと思う。
その彼らが、ある日突然ひょいっと足元をすくわれて立往生をしてしまう。その原因は、私たち、誰にでも起こりうることだ。
つまりは、親や配偶者の死や病気、失業や会社の倒産、あるいは会社の経営方針の変化、社会全体の不景気、エトセトラ。生活の屋台骨は、ある些細なきっかけによって、いとも簡単に崩れてしまう。なんと私たちは不安定なバランスの上に立って生きていることだろう。これは決して他人事ではないのだ。そう思ってみれば、他人の不幸だと高みの見物はできないであろう。
人生は「勝ち」と「負け」ではなくて、誰もが足元の見えない綱の上を足を踏み外さないように必死で渡っているようなものだ。だったら、お互い手をつないでもいいじゃないか。または綱を床の上に下ろす努力をしてもいい。どうにかしてみんなで幸せになりたい。その思いはみな同じはずだから。このままこの問題を放っておいたら、日本はどんどん「ワーキングプア」の国になっていくだろう。それはとりもなおさず、「隣人愛」の、または「愛国心の」貧困ということだと思う。


「ワーキングプア 解決の道」は、日本を離れて他国の「ワーキングプア」とその問題への対策や国や地方の取り組みを調査することでそれを日本に活かす道はないかと模索しているレポートだ。
「韓国」「イギリス」「アメリカ」の現状が語られているが、これらの先進国で日本同様の、あるいはより多くの「ワーキングプア」の問題が横たわっていた。世界的に先進国における貧富の二極化は進行し、経済のグローバル化による失業率の増加や移民問題が深刻化している。
それぞれの国で、まさに人々の英知を絞ってどうにか「ワーキングプア」の蔓延を食い止めようとしているのが印象的だった。日本はどうしても、「共存」ということにおいて考えが及ばず、やや他人には冷たい感じがするのが残念。これはキリスト教的考え方なのか分からないけど…。
「働く」ということは、私たちにとって、「自分が社会から必要とされている」という確認のようなものであり、真面目に働いている人たちが「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有す」こともできないのが異常なのだ。
この問題は、国が、そしてひとりひとりが立ち向かっていかなくてはいけないことだと思う。

ちなみにここには書かれていないが、補足的にフランスについての考えを述べたい。
私がフランスにいて感じるのは、日本よりはるかに個人の貯蓄額の少ない国で、人々は将来に不安を感じながらも国の保障も大いに当てにしているということだ。年金がわずかでも、とりあえず医療は無料(に近く)になり、財産のない人は住む場所も国が援助してくれる。
その安心感というのは大きいと思う。やはり税金が高くても、生活保障の充実が国に対する信頼を高め、心穏やかな生活を送れるというのはひとつの真実だと思う。
もちろん、フランスにだって問題はたくさんある。身近な例だが、フランスに住む日本人社会の中でも経済のバランスが崩れてきている。フランス人が失業している現在、ここに住む日本人にはフランスの会社に入るチャンスは非常に少ない。少ない求人に応募者が殺到するというのも同じだ。
それでは日本企業へ!というと、銀行、商社をはじめ多くの企業がフランスから撤退してしまった。残る職種はといえば、日本食レストラン、日系ブティック(これも数少ない)、旅行関係か自由業(アーチストを含む)しか道がない。
昨今ではワ―ホリも増え(年間1500人以上だ!)、責任のない簡単なアルバイトはみな若者たちに取られてしまった。これでは「ワーキングプア」以下だ。働ける機会が極端に少ないのだから。私の知り合いでも何人もの長期滞在者(家族)が、経済的に行き詰って日本に帰ってしまった。
(フランスに住んでいるとただそれだけでうらやましがられたりするが、実際の生活はそんなに優雅なものではないのです☆)

私はこの世のどこにも理想のパラダイスなんて存在しないと思っている。もしあるとしたら、それは自分の心の中で現在の自分の生活やあり方を幸せだと認め、感謝しながら生きることであって、特定の国や場所ではないだろう。そんな気がする。


ランキング

よろしかったら一押しを!
にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へ


2009年12月22日(火) 「わたしを離さないで」 カズオ イシグロ

カズオ イシグロの「わたしを離さないで」(原題 NEVER LET ME GO)を読了。

カズオ イシグロは、日本で生まれ、5歳の時に父親の仕事(海洋学者)の関係でイギリスに渡り、後にイギリス国籍を取得した。現在55歳。大学院を卒業後、一時はミュージシャンを目指したが、やがてソーシャルワーカーをして働きながら執筆活動を開始…と略歴を読むだけで興味をそそられる人だ。実は、この人は名前だけは長いこと知っていたけど、本は初めて読んだ。
この「初めて読む本」にこの作品を選んでよかったのかどうか、私には何ともいえない。原作は英語で書かれた物だ。2005年に発表され、英米で絶賛され、その後世界的なベストセラーになった…とあるが、私自身の読後感は決してよくはなかった。心が揺すぶられた、でもないし、感動したというのともちょっと違う。でも多分、忘れることのできない小説であることは確かだ。

ネタバレになるのであらすじを書くことは避けたいが、感想を書いても読んでいない人には意味不明だろう。
ある女性の何でもない日常を淡々と書いてあるようでいて、その女性の存在自体が物語の要でありフィクションなのだ。
彼女の一人称で語られる事柄はあまりにも突拍子もないものなのに、本人が感情をどこかに置き忘れたかのように、既成の事実として受け止められているのがなんとも奇怪だった。一番不思議なのはつねにこういう疑問が湧いてきても誰も答えてくれないことだ。
「あなたにとって生きるってことはどういうことなのか…?」と。それが歯がゆくて、苦しくて、かなしかった。
それはつまり、私にとっても同じ問いを突きつけられているからではないだろうか?そして、それに対して彼女ほど毅然と胸を張って答えられないもどかしさがある。
命の始まりとその行方、ひとりひとりの人が果たす「使命」…。
生まれたことに何の疑問も抱かずに、生きていることを当たり前としている人には決して思いつかないウソばなしだと思う。死ぬことで完結する使命を自覚しているかいないか、そしてどんな宿命でも生きることに喜びは見出せるものか。

この物語のかもし出すトーンは、潮の香りのする湿った風のような冷たさを持って、読む人の心にさざ波を起こす。


ランキング

こんなのに参加しています。よろしかったら一押しを!
にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へ


カテゴリー
カレンダー(月別)
09 ≪│2017/10│≫ 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
最近のコメント
リンク
最近のトラックバック
プロフィール

ikuko

Author:ikuko
栃木県宇都宮市出身。1993年2月よりフランス在住。現在パリ郊外に住んでいます。

フリーエリア
RSSフィード
FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。