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プラハの春             (春江一也:集英社文庫)

心に残る小説を読むと、その後何日かはずっとその世界に没入してしまう。いつまでも余韻をかみしめ、想像の中で遊ぶことさえできる。私にとって良書というのは、読んだ後で頭の中に残るか、残らないか、なのだ。
しかし先日、20年も前に読んだ小説のストーリーが全く思い出せなかった。普通の本なら当たり前だけど、私にとってはその女流作家のナンバーワンの傑作だと思っていただけに自分で信じられなかった。「面白かった!」という感想のみが頭に残っていたのだろう。しかも再読してみたら、これがびっくりするほどくどさとアラが目立ち、ひどくがっかりさせられた。(自分の記憶のあいまいさを知った瞬間☆)

前置きが長くなったが、本書は間違いなく、頭の中にいつまでも残り続ける本になるだろう。
「プラハの春」とは、チェコスロバキア(当時)で起こった自らの共産体制の変革の動きのことで、それが社会主義大国ロシアにとっては脅威だったために徹底的に弾圧されるのである。1968年にはロシアは圧倒的な軍事力によって、その活動を押しとどめようとした。それがチェコ事件である。
この小説は、その激動のチェコの情勢を日本人外交官の目を通して描かれたフィクションだが、歴史上の人物は実名で出てくるし、起こった事件や公式文書も正確に記されている。民族独立運動の記録でもあり、同時に日本人と東ドイツの反体制活動家のラブストーリーという禁断のロマンスでもある。しかも貴重なことに、著者は実際に当時チェコの大使館に駐在していた外交官で、「プラハの春」をその目で見て来た人だという。まさに生き証人によるルポルタージュとして読めば二重に価値がある。
チェコの人々が勇敢に、誇り高く祖国愛で持って独立を勝ち取っていったのは歴史上の事実だ。しかし、その渦中において、市井の人々がどのような喜びや苦悩を持っていたのか、どのようにして民族運動の士気を高めていったのか、またロシア人がした数々の暴挙など、私には知らないことが沢山あった。そして読み進めていくうちに、いつしかチェコの人々とともに革命時代を生きているような、一体化した気持ちにさえなった。

実は私は、壊れたベルリンの壁が見たくて、89年にドイツに行き、その後チェコスロバキアも単身訪れたことがある。カレル橋もプラハ城も旧市街広場も、小説に出てくる地名の場所は実際に歩いたし見ている。「プラハの春」という運動についても、知識としては知っていた。でも、この本に書かれているような身近な出来事として考えたことは一度もなかった。ベルリンの壁にしても、本当のところはその意味さえ分かっていなかった。せっかく現地に行ったというのに、なんて私はバカだったんだろうと思った。旅の予備知識以前の問題だ。その国のことを何にも知らないで、そこに行こうとするなんて!

それともう一つ、「国」という概念について。日本は敗戦国にもかかわらず、一部沖縄などを除き、本土を占領されたことがない。そのせいか、あまり人々は国について真剣に考えたことがないのではないか。それは逆に幸せなことなんだろう。
例えば、ある大国がいきなりドカドカと国境を越えて大軍で侵入し、国境を封鎖し、空港を閉鎖し、通信網を断ち切り、「お前たちは今から俺たちの言いなりになれ。俺たちは迷えるお前たちを助けに来た救世軍なのだから」と言って、国の要人を監禁して脅迫するというような暴挙が実際に起こる国において、初めて人々は祖国を守ろうという真摯な愛国心に気付くのではないだろうか。「言論の自由」についてもそうだ。国家の体制について非難どころか意見を述べることさえ許されない国に比べたら、日本はなんと自由に充ち溢れていることか。必死でもぎ取る必要などないくらい、「自由」だ。(いくつかの放送禁止ワードなどはこれにあらず)
日本は、国がなくなるかもしれないという危機に陥ったことがない。そういう苦難を知らずに、学生運動だなんだと上っ面だけ共産主義の真似ごとをしていたのではないか、という気がしてしまう。私は学生運動の時代を知らないので想像をするしかないが。若者はただ、みんなで群れ、自分たちの姿に酔い、難解な言葉を駆使して悦にいっていただけではないのか。
ましてや今の若者に至っては、生まれた時から「欲しい物はすべてあった」に違いない。国を想う気持ちが育つわけなどない。

私はこの本を読んで、またどうしてもプラハに行きたくなってきた。今度行く時は、祖国のために焼身自殺したヤン・パラフや果敢なるチェコの人たちに花を贈りに行きたいと思う。


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プラハの春

プラハの春は私の最も好きな小説のひとつです。かなり昔に読んだと思っていたのですが、1997年が初版ですからまだ13年ですか。その時以来春江一也が大好きになり、その後ベルリンの秋(これはプラハの春の続き)、フィリピンのダバオを舞台にしたもの、中国の辺境を題材にした大作など全て読みましたが、プラハの春とベルリンの秋が良かったですね。プラハの春事件は1968年です。私が社会人になった年です。共産主義嫌いであった私が、第一書記のドブチェク頑張れ、ソヴィエトの圧力に屈するなと、歯ぎしりしながら事態の推移を注視していたのを今でも思い出します。戦車に蹂躙されるチェコ市民はどれほど悔しい思いをしているかと、今でも自分がその被害にあったように思い出します。その後仕事でプラハに行きました。手元に記録がないのではっきりしないのですが、たぶん1985年前後だったと思います。仕事でしたから、カレル橋なども行っていませんが、共産主義下、何か重苦しい雰囲気があったようにかすかに記憶しています。
書評を書かれた筆者はそこから日本の現状に思いを馳せているようです。私も全く同感です。でも昔はそのようには思いませんでした。むしろ堀江氏の生き方に共感を覚えて自分もそういう壮大なロマンに将来浸れたらな、と思ったように記憶しています。壮大なラブロマンスとして、自分をその中に組み込んで読み進んでいたように思います。
春江氏の小説は外交官としての自己の経験をベースにしているので、我々のような知識欲旺盛なものには、そうか、そうだったのか、と思いながら読めるし、一方で壮大なラブロマンスが進行するという、本当にのめりこむ小説だと思います。彼は寡作なんですね。もっと書いてほしいと思うのですが、寡作だから良いのでしょうか。それと、ダバオ以降はちょっと期待外れの感もします。
書評を読んで懐かしくなり、駄文を提供しましたが、ご寛容のほどを。

ワインラバー26様

コメントをありがとうございました。ただいま「ベルリンの秋」を読んでいます。結構のめり込みますね。ジェフリーアーチャーを彷彿させる壮大なロマンだと思います。なかなか日本の作家でこういうのを書ける人は少ないのでは?という気がします。
さて、「プラハの春」の運動を実際にメディアなどでご覧になっていたのですね。(私は3歳でした!)その頃、日本はかの国に対して何をしてあげられたのだろう~と疑問になりました。「高みの見物」という語が文中に出てきますが、あまりにも政治形態が違い、ロシアや隣接する共産諸国との関係などを考慮すると、何も出来ずに手をこまねいていただけではないのでしょうか?ロシアの暴挙に対して声を大きくして異論を唱えたような人は少なかったのでしょうか?その辺のところが知りたいと思います。
また「ベルリンの秋」がよかったら書評を書きたいと思っておりますのでよろしくお願いいたします。

プラハの春

もちろん世界から非難ごうごうでしたよ。しかしソ連が腹固めてあそこまでやったら、戦争する気でないと止められないのは事実です。でもチェコのあの抵抗が89年のいわゆるビロード革命につながって共産思想が崩れていったのです。その意味では共産主義から解放された多くの国はチェコに対し足を向けては寝れないと思います。もっともも85年ごろからソ連邦自体が徐々に瓦解していったという事実もありますが。でもチェコの果たした役割は大きかったと思います。それが冷戦構造をなくしていったのですから。花束をささげたいというのは賛成です。
その頃の日本は佐藤栄作首相でしたが、高度経済成長の緒に就いたばかりであり、また東大紛争などに明け暮れて、外に目を向ける暇はなかったでしょうね

ワインラバー26様

共産主義の理想(理念)自体は素晴らしいけれど、みんなが平等というのはあり得ず、少数の誰かに権力が集中することは避けられない。そして権力を持った人間の常としてその力を私利私欲のために行使する…ということでしょうか。
ロシアのしたことはナチのしたことと変わらず、人間の歴史の汚点としていつまでも残ることでしょう。もちろんそんな時代でもロシアにも(ドイツにも)心ある人はいたと信じますが。

プラハの春

結局1991年12月にソビエト連邦からロシア連邦(エリチィン政権)に変わったわけですが、たまたま丁度その時モスクワに出張しており、ある朝だったか、夕方だったか(夕方だったような気がする)いつの間にか、国旗が変わっていたのを、上司と一緒に“何か歴史の流れに触れているようで、感動的ですね”、と眺めていたのを思い出します。
次のベルリンの秋も楽しんでください。

ワインラバー26様

私はその直前のゴルバチョフの頃、添乗でソ連を訪れています。レニングラードがサンクト ペテルブルグに変わった頃でしょうか?ハバロフスク~モスクワ~サンクト ペテルブルグと3都市を回ったのを思い出しました。最低1000円を現地通貨ルーブルに両替しなくてはいけなくて、しかもそのお金を遣う場所が全くなくて困りました。(屋台のサクランボを買ったり、無理やり一駅だけメトロに乗ったりしました)

No title

89年の8月にベルリンの壁を見に行き、その年に壁がなくなった経験を持っています。
http://rennais.blog6.fc2.com/blog-entry-135.html
97年に日本に帰ってから「プラハの春」を読み、大変感激したことを覚えています。68年は私が大学に入った年で、機動隊相手に石を投げていた時代ですので、プラハ占領はよく覚えています。
この本は本当に心に残る一冊です。

豊栄のぼる様

コメントありがとうございました!よく思いだしてみたら、私がベルリンに行ったのは90年でした。壁の残骸のキーホルダーとかを道端で売っていました。
豊栄さんはブルターニュにいらしたんですね。私もブルターニュは大好きです☆またコメントくださるとうれしく思います。
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Author:ikuko
栃木県宇都宮市出身。1993年2月よりフランス在住。現在パリ郊外に住んでいます。

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