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2010年4月10日(土) 歓喜の歌

昨日の萩原朔太郎の詩だが、今日、母と電話で話していたら、『これは松の木のことを単に比喩で歌っているのではないか。「懺悔の涙」というのは松の葉に伝う露のことで、「天上の松に首を吊っている」ように見えるのは松ぼっくりなのではないか…』と言っていた。母は和歌を詠むので、すぐにそのような情景が目に浮かんだのだと思う。
母は最近コーラスも始め、それが楽しくてたまらないようだが、津軽三味線も弾けばゴルフもし、料理も裁縫も絵も上手という人だ。(色々すぐ教えたがるので、時々煙たい!)

母の趣味の中で唯一私ができるのが、コーラスぐらい。
中学校の時、合唱部に入っていたからだ。それも全国大会で優勝するような部だったので、練習はきつかった。朝は部室に行って階段のところで腹筋、昼休みは発声練習、放課後は先生が校舎のカギを閉めてしまうので、逃げ出せない状態(!)で長いこと練習していた。その厳しい練習の中で、でもパート練習が終わって、初めて男声(テノール、バス)と女声(ソプラノ、アルト)が合わさる時には、いつもぞくぞくっとするような感動があった。
私はアルトだったので、練習中の旋律はひたすら地味なのだ。なので、そこにソプラノの声がかぶさるだけで、「あーそうくるかー」みたいな感じ!男声が入るとまさしくドーンと深みが増してそのハーモニーに酔っていく。
多分、楽器をする人がすべてのパートを合わせていく時も同じだと思う。もうその時の高揚感は何とも言えない。

今日、「歓喜の歌」というドラマを観た。これは立川志の輔さんの新作落語が原作のドラマだったが(映画もあるらしいがこちらは観ていない)、非常によくできていた。
それぞれに悩みを抱えながらも、健気に生きている主婦たちが主役だ。彼女たちはその忙しい毎日に何とか隙間を作って、その一瞬を楽しみに女声コーラスに通ってくる。歌っている時には、病気も子供も介護も仕事も忘れ、素の自分に、女学生だった頃の無邪気な気持ちに戻っている。そしてその時間が彼女たちにとって、ささやかな日々の生きがいなのだ。
5年ぶりに開かれるコーラスの20周年発表会というのがあって、彼女たちは嬉しくてたまらない。みな少しずつはしゃいで、練習に励みながら楽しみに待っていた。しかし、市の職員の手違いで、市民ホールがダブルブッキングされていた。
こう話を書いていくと、ものすごく地味でどこが面白いかわからないように思える。なのに、これが笑わせ、泣かせ、じーんとさせるのだ。まずは脚本、そしてキャストが秀逸。
市の職員の大泉洋、コーラスグループの田中裕子、根岸李枝、あき竹城、その恩師役で指揮者の大滝秀治。特に、大泉洋は、多分この人でなければできないだろうという味を出していた。いい加減で、ねちっこくて、意地悪そうなんだけど、実は相手の痛みが分かる神経の細かさも持ち合わせているという複雑なキャラ。コーラスグループの女性陣は好きな人ばかり。田中裕子はますます磨きがかかっている感じ。どうして歳を重ねていっているのにどんどん素敵になっていくのか、この人は。大滝秀治は、もうそこにいるだけでいい☆かわいすぎる。

歌っていうのは、一番単純な喜びの表現なんじゃないだろうか。歌うのに必要なのは、自分の声だけだ。そしてそれを人の声と重ねることによって、さらに喜びが重なっていく。その歓喜のハーモニーに聴いている人々も感動を覚えるのだと思う。エンディングの「時代」では涙が止まらなかった。


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Author:ikuko
栃木県宇都宮市出身。1993年2月よりフランス在住。現在パリ郊外に住んでいます。

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