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2009年10月31日(土) カンにて

カンのカテドラル

パリからカンまでは230km。休憩も入れて3時間弱の道のりだ。
金曜日の午前中にパリを出発し、A13号線で一直線にカンを目指した。
到着後は、携帯電話で友達に道を聞きながら環状線に乗り、彼女の家に到着したのが13時40分頃だった。天候はくもり、気温は19℃。パリより暖かいほどだった。
しかし間の悪いことに普段は健康優良児の長男が熱を出してしまい、到着するなりダウン。結局この日はどこにも出かけられなかった。
友達は夫がフランス人、子供はまだ小さく日常会話はフランス語。なので、まさしく「日本語に飢えている」っていう状態。フランス語は上手なので地域社会にも問題なく溶け込んではいるが、やはり母国語で思う存分言いたいことがいえるっていうのは別問題なのだろう。何時間話していても話題が途切れない気がした。私の3倍ぐらいの量、機関銃のように話していた。おしゃべりな私も珍しく聞き役に☆
夕方、近くの怪しげなアラブの店でワインや食材を買い、夕食は自宅に戻って一緒に作った。

街角 メモリアル(戦争博物館) 博物館のエントランス

31日 土曜日)長男は微熱のまま。午前中はだらだら過ごし、午後になってカンの名所「メモリアル(戦争博物館)」に行った。友達は自分の子供たちとうちの次男を預かってくれ、メモリアルの近くの巨大な公園へ行ったので、私は長男と一緒にここを見学した。
ここは第2次世界大戦の時の「ノルマンディー上陸作戦」の舞台なので、その時のモノクロの記録映像だとか、第1次、第2次世界大戦の時の記録、写真、映像、戦車、遺品などが展示してある。
ヨーロッパが中心の展示内容なので、日本はほんの少しだけ。広島、長崎もわずか写真が数枚、柱1本分の展示しかなかった。
しかし、最初から最後までこう戦争づくしだと完璧には理解できないにせよ、重たい気持ちになってきた。長男は熱もあって尚更フラフラ歩いていた。終始無言だったので、何を感じていたかは不明だけど。
その後、みんなで街中を散策した。繁華街はわずか数百メートルで終わってしまい、あとは住宅地。のんびりしていて住みやすそうだな~というのと、黒人やアラブ人やアジア人がほとんどいない、完璧な白人の街なのにちょっと驚いた。私たちは、希少人種なので結構目立った。

城壁より雨に煙るカテドラル

11月1日 日曜日)なんとどしゃ降り!長男の熱は依然として引かず、今回の旅行は全く観光向きではなかったと思った。30分も走ると海だから見に行こう!という前夜の計画も空しく、街中の城壁にびしょ濡れになりながら登り、霧にかすむ街並を眺めただけ。気持ちが急速に萎えていくのをどうしようも出来なかった。頭痛も出てきたし、旅先なのに気持ちはブルーだった。
友達はお昼に誘ってくれたがそれも辞退して、昼前にはカンの街を出てパリに向けて走ってきた。雨の高速道路がコワかった。途中、ドライブインで死ぬほど不味くて高いサンドイッチを買って食べ、パリに15時半着。それから私たちは3人ともダウンしてしまった。(次男は2日の朝まで寝ていた)長男は熱が引かず、私は咳まで出てきて、最悪のコンディション。インフルエンザではないけど、なんなんだ~これは。まあ、休み中でよかったけど。
というわけで、次回にまたカンに行く時までその他の観光はお預けになったのだった。


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Author:ikuko
栃木県宇都宮市出身。1993年2月よりフランス在住。現在パリ郊外に住んでいます。

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